40代になり、人生の折り返し地点で家族関係に大きな変化がありました。
今回は、私が経験した兄弟との絶縁の経験談です。
「発達障害の兄弟との付き合い方」や「家族関係の距離の取り方」に悩んでいる方に、少しでも参考になればと思い綴ります。
40代になって、いろんなことが起きました。
「人生の折り返し地点だから」…いいえ、布石はもともとあったのだと思います。
その出来事の一つが、兄弟との絶縁です。
弁護士が介入しているので、どこまで書いていいのか迷いますが…。
私は兄弟が多いのですが、その中の一人は常に好戦的な人でした。
他の兄弟とも、親戚とも、もちろん他人とも、
いつも誰かと戦っているような人間でした。
本人は「発達障害がある」と言い、病院にも通院していましたが、詳しいことは聞いていません。
私たちにとって大事だったのは病名ではなく、
「どうやって付き合っていけばいいのか」ということでした。
年上のその兄弟は、次から次へと人と揉めては「裁判だ」と喚く。
母だけではその宥め役も辛いと思い(父もいますが対応は難しく…)、
私も何年も、何十年も支えてきたつもりでした。
「私はあなたの敵ではない」
伝えたかったのは、結局それだけだったのかもしれません。
他の兄弟に攻撃が向かないように、母がこれ以上苦しまないように。
そう思っていましたが、結果として40代後半で絶縁状が送られてきました。
私だけでなく、ある兄弟にも。
絶縁状が届いた兄弟と、届いていない兄弟がいます。
それでも、その「一人の兄弟」以外とは仲良くやっています。
ある兄弟が言いました。
「ここまで支えてきた姉さんにまで攻撃するとは思わなかった。
今まで全部を任せてきたんだとわかった。本当に申し訳ない。ありがとう。
今はこれ以上、連絡を取らなくていい。
『一人の兄弟』には思うところはあるけれど、孤立させようとは思わない。
救いたいわけではないけれど、今は自分も距離を取ろうと思っている」
そう言って、他の兄弟たちとは連絡を取り合っています。
私はこの歳まで、兄弟との絶縁や家族関係の距離の取り方を考えながら、
誰かを傷つけないために必死で頑張ってきました。
それでも──彼は孤立する道を選びました。
絶縁状の前後には、ひどい長文のLINEが送られてきました。
その文を見て「私にできることはもうない」と悟りました。
脅しのような内容もあり、正直、恐怖を感じました。
他の兄弟からも「鍵を閉めること」「家に来ても開けず警察を呼ぶこと」と
助言を受けるほどの人です。
でも、恐怖は徐々に薄れていきました。
「ここまでしてダメだったか…残念だったな」
そんな気持ちが残るだけでした。
憎しみや後悔はありません。
孤独を怖がっていた人だから。
その孤独をなくすことはできなくても、
せめて何かできないかと模索してきた数十年でした。
でも結局、それは「一人の兄弟」の人生。
誰よりも家族を大事にしたいという思いが強すぎて、
攻撃性が表に出る人でした。
最後は、やはり自分が一番大事だったのだと思います。
自分を大切にするのはおかしなことではありません。
でも、自分を守るために誰かを攻撃する必要はない。
それが、最後まで伝わらなかった私の思いです。
両親はまだ健在なので、揉めごとは完全には消えず、
火種が燻っている状態です。

普段はあるものを、ちょちょっと食べて終わりますが
お休みの日に、和食が恋しくなることがあります。
メニュー
・鶏肉と白菜の炒め煮
・焼き鮭(焼いて冷凍していたのでレンジでチンするだけ♪)
・オクラに焼き浸し(オーブントースターで焼いて、麺つゆにつけて冷蔵庫保存)
・黒豆納豆
・雑穀米
・キムチ
・インスタントのお味噌汁
コメント